My sweet 毛皮

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2011年 03月 16日

地震のこと

その時、自分は東京で仕事をしていてビルの6階にいた。
ちょうど仙台の自社の同僚と電話していた。
すると「あ、地震だ、…これはヤバい、これはヤバい…」と言われたところでツーッ、ツーッ、ツーッ、と電話が切れた。
え、何?なんかすごい緊迫感。イヤな感じ。地震ってことはこれからこっちにも来るんだな、と構えていた。
でもいくら仙台で大きくても東京だしな…と思っていたら甘かった。
今までで一番身の危険と恐怖を感じた。
フロアのPCやディスプレイが机から落ちたり、ひっくり返ったり…、揺られながら考えるのは、震源地はこの間と同じ(宮城県沖)だろう、東京がこれだけ揺れるのだから仙台、宮城はマズい、ヤバい、どうしよう、ということ。
自社のビルやSS30が崩壊している映像が頭に浮かんだ。
実際は仙台市内中心部は人的被害はほとんどなかったわけだが。
その時は津波のことを考える余裕などもなく。

とにかくまずは仙台が心配で心配で。
会社に残ってネットで情報収集。
でもまったく状況もわからず、ニュースで映し出されるのはその後の津波のことばかり。
中心部がどうなっているのかさっぱりわからない。
連絡もつかない。
仙台に戻ることもできないのでホテルを押さえて宿泊し、テレビにくぎ付け。
次の日(12日)も帰れないので延泊。
次の日(13日)自分は新潟に行きたかったのだが会社の人と一緒だったので…。
(ひとりだったら一日早く仙台に着いていたと思う)
とにかく仙台に帰る方法を模索。
レンタカー。東北へ行く場合はダメと断られた。
福島まで航空機を予約。そこから仕事仲間の親戚の車を借りる手はずを整えた。
でもこれは個人的にはあまり乗り気じゃなかった。
誰が原発の危険性のある福島に自ら乗り込んでいくのだ?
あと飛行機嫌い。
でもまあ仕方ないかなと次の日羽田へ行くために浜松町のホテルを予約してチェックイン。
そのとき東京-新潟の新幹線は動いていた。
しかし、新潟-山形、新潟-仙台のバスは満席だった。
でも自分は陸路がよかったのでネットで検索していると新潟-山形のバスに臨時便が出た。
次の日(14日)の8:00発。
今日中に新潟に移動すれば乗れる。
というわけでチェックインしたホテルをキャンセルさせてもらって、バスを予約して、新潟のホテルを予約して、新幹線を予約。
新潟に22時過ぎに着いた。
そして次の日朝新潟を出発して午後には山形到着。夕方早く仙台に無事到着した。
自宅に戻る前にお世話になっているお店に様子を見に行く。
そして自宅に帰るとまあスピーカーは全部倒れていたが、テレビは無事だったし、食器やグラスは全滅だと思っていたけれどだいたい大丈夫だった。
ガスや水道はダメだけど電気は通っていた。
その日のうちに山形の実家に帰ろうかと思ったけれど一泊することに。
ずれまくっている家具や倒れているものの片づけは後回し。やる気が起きない。
そして次の日(15日)、このまま自宅にいても食糧もないしお湯も沸かせないし原発の問題もあるし、実家のある山形市へ移動することに。
ガソリンは満タン近い記憶があったがラッキーなことにその通りだった。
というわけで今は山形にいる。
山形は現状ガソリンが手に入らないが(これが一番深刻。ガソリンがあれば必要とするところに物資を送れるのだが)、食糧は結構普通に手に入る。
乾電池、懐中電灯などは山形でも完売。
山形に来てペーパー類、米、カップラーメン、缶詰などを買った。
あとは卓上のIHコンロ。
当初、ガスの復旧は3週間~1か月掛かると言われていたが今日のニュースによると1か月以上、見通しが立たない模様。
山形、仙台ともに今日から雪模様だが、明日どちらも晴れたら仙台に戻るつもり。
ノーマルタイヤなので雪だと帰れないのがツラい。
あのまま東京で何不自由ないホテル暮らしを続けることもできたけれど自分の目で現状を見たくて仙台に戻った。
このまま山形で何不自由ない暮らしをしばらく続けることもできるけれど、やっぱり仙台に戻りたい気持ちが強い。
知人が必要なものがあれば届けたいし。
風呂に入れないし、通常の食生活ができないとしても。
自分は今回の地震を現地で体験できていない。
なんかそれが複雑である。
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by kegawa1968 | 2011-03-16 16:16


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